ゆかしき世界 在るがまま

OSHO禅タロット・トートタロット・A Course In Miracles

究極の事故 Ultimate Accident

自分の探究においては真正でありなさい
そのためにあらゆることをしなさい

映し出されたものの背後にある元のものを知ろうとする渇きーーそれがあなたを『究極の事故』に値するものにしてくれます

千代能はサニヤスを受けようとして、
尼僧になろうとして、
次から次へと寺院を訪ねた

だが偉大な禅師たちでさえ彼女を拒んだ
彼女はあまりにも美しかった…

修行僧たちは神を
そしてあらゆることを忘れてしまうだろう

途方にくれた彼女は燃える炭を顔にあて
その美貌を自ら捨てた

そして、彼女はひとりの禅師のところに行き着いた——彼は彼女が女なのか男なのかさえ見分けることができなかったが、そこで彼女は尼僧として受け容れられた

彼女はまさに用意ができていた

その探究は真正なものであり
その事故に値するだけの価値があった

三十年、四十年の間休みなく学び、瞑想した
それは働きかけて得られたものだった

そして突然、ある夜……。 

彼女は手にもっていた桶の
水に映る月を見ていた

映し出されたものですら美しい
それらは絶対的な美を反映している

真の探究者ー千代能は
映し出されたもののなかに非常に多くのことを知った

あまりにも美しく、そこにはすばらしい音楽があったので、今度はその源を知りたいという欲望が湧いてきた

歩きながら
桶の水に映るまんまるい月を鑑賞していた

突然、長年使っていた桶の箍(たが)が外れ
底が抜けてしまった

一瞬のうちに
水も月も消えてしまった

そして、 
千代能は光明を得た

この詩を書いた

「あれこれと 

たくみし桶の

底抜けて

水たまらねば

月もやどらじ」

ーーーーーーーーーー
光明を得ることは事故に似ている

もしあなたがなにもしなければその事故すら起こらないだろう

そのために多くのことをやってきている者たちにしか起こらない

それはけっして起こらない

あなた方の瞑想はすべて事故の起こりやすさを、招待を創り出すためにすぎない

ただそれだけだ

事故に、未知なるものに備えるがいい
用意を整え、待ち、受容的であるがいい

招待がなければ客はけっしてやって来ない

NO WATER, NO MOON, pp.1-19
OSAKA-Nakazaki Salon O'cchi        salon.occhi@gmail.com