ゆかしき世界 在るがまま

OSHO禅タロット・トートタロット・A Course In Miracles

Politics 偽善者/偽りの顔

Osho/『真実と虚偽をどう見分けるか』

あなたの顔は全て偽りだ
あなたには真の顔がない

だからこそ
どれが偽りでどれが本物かという疑問が起こる

真の顔を持っていれば自ずと分かる
決してそのような疑問は起こり得ない

あなたの場合
全ての顔が非真実で偽りであるから
比較ができない

あなたには真の顔が分からない
だから難しい

あなたは真の顔を見たことがないし
またそれは簡単には見えない

それを見つけるには大きな努力が必要だ
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禅において
「真の顔」は「本来の面目」と呼ばれる

本来の面目とは
生まれる前に持っていた顔
死んだ後に持つであろう顔だ

つまり生きている時の顔は
皆偽りだということだ
いわゆる「生きている」時の顔は...

ではどうやって真の顔を
見つけたらいいか

そのためには誕生の前に戻ることだ
それが真の顔を見つける唯一の道だ

生まれた瞬間から
あなたは偽りを開始している

なぜそんな早くから
偽りを開始するのか?

偽ることで得をするからだ。

子供が生まれる
だが子供はもう政治家だ

子供が世界に関係するやいなや
親や家族に関係するやいなや
もう政治が現れる

子供は自分の顔に気を使う
その微笑みは賄賂だ

一体どう振舞ったら、
もっと喜ばれるか、
もっと愛されるか、
もっと感心されるか…

子供はそれを見出そうとする

そして遅かれ早かれ
子供は両親や家族の
嫌いなものを察知し
それを抑圧するようになる

そこに偽りが生まれる

だからあなたの持つ顔は全て偽りだ

今現在の顔から真のものを
見つけようとしてもそれは無駄だ
みな偽りだ
等しく偽りだ

顔は役に立つ
だからこそ使われているのだ

有用ではあるが
真実ではない

そして
最も深い欺瞞

それは
自分の顔が偽りだと気づくと
常に新しい顔を作り出し
それを真の顔だと考えてしまうことだ

例えば
普通の環境の中で ビジネス社会の中で
普通の生活を送っている人間が
「自分の生は偽りだ。本来のものではない」と認識し、それを去ったとする

彼は求道者となり、世を捨てる

すると
往々にして彼は
今度の顔は真実だと考えてしまう

しかしそれもやはり偽りの顔だ

その顔を選んだのは
元の顔に反発したからだ

しかし反発したところで
決して真の顔には到達できない

偽りの顔に反発すれば
別の偽りの顔が生まれるだけだ


ではどうしたらいいか

真の顔は達成するものではない
偽りの顔は達成物にすぎない

真の顔は達成するものではない
培うものではない

発見するものだ!

既にそこにある!

到達しようと努める必要はない
どんな努力も新たな顔へ繋がるだけだ
偽りの顔には努力が必要だ…

真の顔については
何もする必要がない

すでにそこにある

偽りの顔への執着を手放しさえすれば
偽りの顔は落ち
真がそこに残る

落とすべきものが何もなくなり

落とせないものだけが残るとき

真なるものが認識される

Osho
OSAKA-Nakazaki Salon O'cchi        salon.occhi@gmail.com